• Home
  • 浄土真宗 念仏の教え
  • 光澤寺について
  • 行事のご案内
  • アクセス・お問合せ

伝道掲示板

正信偈に学ぶ (6)

2009.01.04

2009年1月14日 修正会

 
 

先回は、帰命と礼拝ということについて、触れました。 親鸞聖人が「帰命無量寿如来 南無不可思議光」というときには、心から頭を下げずにはいられないということです。そして、「法蔵菩薩、因位のとき、世自在王仏の所(みもと)にましまして、国土人天(こくどにんでん)の善悪を覩見(とけん)して、無上殊勝の願を建立(こんりゅう)し、希有(けう)の大弘誓(だいぐぜい)を超発(ちょうほつ)せり。五劫、これを思惟(しゆい)して摂受(しょうじゅ)す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえん。」と続いていきます。
 

これは、お釈迦様の沢山の説法・お経の中から、これこそがお釈迦様が本当に仰りたかった、私どもにとって本当に大切な教えである、ということを親鸞聖人が浄土三部経として選らばれました『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』のなかに語られる法蔵菩薩の物語です。「時に国王ましましき。仏の説法を聞きて、心に悦予を懐き、尋(すなわ)ち無上正真道の意(こころ)を発(おこ)しき。国を棄(す)て王を捐(す)て、行じて沙門と作(な)り、号して法蔵と曰いき。高才勇哲(こうざいゆうてつ)にして、世と超異(ちょうい)せり。世自在王如来の所に詣でて仏の足(みあし)を稽首し、右に繞(めぐ)ること三?(さんぞう)して、長跪(ちょうき)し合掌して、頌(じゅ)をもって讃じて曰く、」とかかれています。王が国を捨て王を捨て、道を求めていった。それを法蔵といった。
ここは以前に触れさせていただきましたことですが、法蔵等名前の人がいたと言うのではなくて、法蔵は鉱脈、目には見えない喩え。私たちの意識の中に、意識のずっと底に、道を求めてやまない、ものがある。と言うことの喩えです。
 

普段はそんなこと思わないが、本当に安心できるもの、これはと思うものに出合いたい。心の底から突き破って生れてくる、こういうことを仰りたいのが法蔵と言う言葉に象徴されるものです。 その法蔵が、「世自在王仏の所にましまして」世自在王仏といいますと、世の中自由自在の頂点のように思いますが、宮城顗という先生は、「世自在王仏とは、自在と言うことは、みずからある。真に自由であるということは、みずからによる。自分の本来において生きているということ。いわば自分の本来性を回復すること」、と仰っておられます。
自分の本来性を回復する。何でもかんでも自分の自由に出来る人が一人でもおりましたら争いが絶えません。一緒に生きていくことも出来ません。いろいろな場面において、自分の思い通りにならない中で、自分が自在に生きていく。思い通りにならない中に、大事なことが見つけられる。そういう仏さまです。世間的な自由でも自在でもありませんが、自由自在に生きていくことが出来る。
私たちの色々な悩みの中を破って、色々なことがある中に自在に生きていくことが出来る、こういうことを求めさせていく喩え話として語られていきます。
 

諸仏が浄土を建立された、浄土がどうして建立されたのか、浄土の因です。諸仏が浄土を建立されたその願い、その心。
そして、建立された淨土という国土、その国土の善と悪を覩見して、覩見するということは、確かに分かった、きちんと示された、きちんと見つめてくださった。私たちは、よいこと悪いこと、別々にあるように思うが、歎異抄のお言葉にもありますように、「善悪総じてもって存知せざるなり…」でございまして、必ずしも私どもが良かれと思ってしたことがいいことにはつながらないわけです。逆に悪いことと思いながらも、ついついしてしまうこともあります。それが意外と後からよい結果になったり…そんなことを行ったり来たりしております。そのようなところを超えていくことが諸仏が浄土を建立された無上殊勝の願です。
無上殊勝の願、無上ですから、上も下もありません。この仏説無量寿経でいいますと、お釈迦さんがお生まれになられて「我当に、世において無上尊となるべし」と、無上尊という言葉で出てまいります。上も下もなく尊い。上とか下とか関係ない、ということですね。そこに在るということが尊いということです。
超えたところの願い、どうか貴方もそこに在るままでよかった、ということに目覚めてもらいたい、という願いです。
皆がそこに平等に一つになれる世界に目覚めてもらいたい。そういうことを浄土ということで表しておられます。一つの尊いことに出会っていく世界を浄土といいます。
一つに出会っていくということは大変難しいことです。この世の中は人間の知恵では、どんなことをしても一つにはなりません。終わりのない不平等です。どこにそんな平等の世界があるのかという問題です。
どこで私たちが、私が、生まれたことに対する、私という存在が、生れたことに対する怨もあるだろうし、生きていく中での様々な苦しみの中を比較相対の中で解決しようとする生き方では、妬み・怒りという感情が沸き起こってきますから、どうしても行き詰まりが出てきます。
 

この自在に生きていくことの一つの例として、真宗大谷派で発行している『同朋新聞』の一月号、井田つるさんのお話を紹介したいと思います。法蔵菩薩の物語にお示しになられておりますことが単なる物語ではなく、それこそ生きて語ってくださっている、ご自分で体験なさった方のお話ではないかと思います。
今89歳になられる井田つるさんの場合には、昭和36年、御歳41歳のときに息子さんを交通事故で亡くされました。
それまで10数年通っておられたある宗教のところで、事故の起きる直前に、遠く北海道にいる息子のことが心配になり、息子のことを占ってもらったそうです。健康で仕事も順調にいっている、という話を聞いて、安心したばかりのことだったそうです。それから6日後に息子さんが亡くなられた。このような経験を通しながら、息子さんに先立たれたことを悩み続けられました。
そういう井田さんを、聞法に寺に誘ってくださった方が何人かおられました。その心中が、どう変わったか?私どもは窺うしかないのですが、この本の中に言われておりますのは、「この私の我執と一緒にお念仏さんがいてくださる。」これが井田さんの一つの頷きです。 この事故は、ひき逃げでしたが、犯人と警察が知り合いだった。それで長いこと隠蔽工作が続きました。井田さん側は必死になって犯人探しをしていました。それを悉く警察側が壊していく。最後にはやっと犯人が分かるのですが、最後に、こういう言葉を残されました。
 

これは私たちは味わうしかない言葉です。「ずっと憎み続けた犯人、ニシカタという人に会いたい。手を握って、『ご苦労かけたね。私もあなたに済まないと思っているよ。』と言いたい。そんな気持ちが心のどこかにあるせいか、この間夢を見たの。夢と言っても実際は短い時間だったと思う。家にトラックかなんかが来ていて、用があってきた人だと思う。私が呼んだのか、その人が用があってきたのか知らないが、色々話しているうちに、『あなた昔事故を起こしたことない?』と私が一言言ってしまったの。そしたら『おばさん、俺に何か言いたいんじゃないの?』って向こうがあっさり言うわけ。
それから『あんた、もしかしてニシカタさん?』って聞いたら、『うん、そうだよ』って言うわけ。私はいきなりニシカタさんの手を取って『ああ、ごめんなさい。長い間ご苦労をかけて申し訳ありません』と言って、泣いてしまったの。その、自分の泣いている声か、しゃべっている声か分からないけれど、目が覚めても頭の中がボゥっとしていた。それなのに、心だけがはちきれるほどに、ああ、よかった。という喜びにあふれていた。」
こんな夢を見た、と書いてあります。
これは夢だけでなく、本当にそういう気持ちになられたそうです。不思議なことです。それほど不思議な喜びを誰かにわかって欲しい、ということになって、「気がついたら林暁生先生のところへ電話をかけていた。」
憎くて憎くてしょうがないひき逃げ犯人を、何とか挙げて息子の怨を晴らしたい、という一心で証拠探しをしてきた方が、こういう気持ちになられた。こういうことが、法蔵菩薩の物語が、決して物語だけに終わらない、私どもの奥底に流れている証であると思います。
これを方程式のように考えると、仏教は分かりにくくなりますが、井田さんにとってのキーワードは「我執」ということです。
どこで一つになれるか、井田さんにとっては我執、という一点だったのです。我が想いの執らわれ。何故息子が死ななければならないのか、犯人はのうのうと生きているではないか、ということが、実は我執であった、ということに転換していく。そういう気持ちが起こる。
 

大変なことを経験された方のお話ではございますけれども、私どもも我執にとらわれております。色々な思い・考え、経験にとらわれて、そこから一歩も出られない。そういう私どもにとって、淨土という世界が、どういう世界であるのか、ということを知らせて下さる、そういう「はたらき」。私たちが生きている穢土の真っ只中に浄土がはたらきかける。そのことを願われたのが、仏さまの本願であります。帰命という心がどうして起こるのかということで、法蔵菩薩の物語が続きます。
そこでは、私たちの普段の心を破って、自分で起そうと思って起せるものではありませんで、先程の井田さんのように、あのような悲惨なことがあっても、「我執と一緒にお念仏がいてくださる」というような心になっていける。 それを法蔵菩薩の物語で私たちに示そうとしてくださっているのではないか、と考えます。

« 一覧へ戻る

^@Jh@{莛

^@Jh

^@

ǂ݂ܐȁ@TOMOԂ

y^@hbgCtH

y[W擪