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伝道掲示板

第1回 真城義磨先生のお話

2009.08.06

2009年8月6日暁天講座

 

03-1

皆さん、お早うございます。ただ今ご紹介いただきました真城義麿と申します。甲府へ昨日の夕方こちらへ寄せていただきました。ご縁をいただいて生まれて初めて甲府の街へ寄せていただいたことです。

私の故郷は瀬戸内海の小さな島で、今、合併いたしまして今治市となりましたが、尾路郡関前村といっておりました頃は島が三つで一つの村でございました。

過疎高齢と紹介されましたが、過疎ということで言えば、私が小学生の頃の昭和30年代は、関前村の島三つを合わせて約4,000人位の人口でした。今は、600人を切りっております。

子供の数も少子化の時代は終わり、無子化です。今年度で、島の中で(子供が)生まれるということは最後であろうといわれ、今後は見込みがないという状態であります。また、小中学校に通う生徒の家族は全部合わせましても12家族です。見回してみても、将来島に残るであろう可能性がある家族は12家族の中に一件もありません。

 

島へ帰りまして4年後に、もう一度学校へ戻ってくるように言われ、瀬戸内海の小さな島と京都を行ったり来たりする、簡単にいえば、僻地と都会とを行ったり来たりする生活になりました。

4年間島にいて、改めて大谷中高等学校へ戻ってみると、以前勤めていた頃には気が付かなかったことがいっぱいありました。改めて勤めてみると、学校というのはおかしなところだ、ということを思います。非常にバランスの悪いところです。どう悪いかというと、基本的に若い健常者しかいない、ということです。若い健常者しかいないです。多少、あそこが悪い・ここが悪い、という子もおりますが、総じていえば、若い健常者の集まりであります。それはそれで、悪いとか良いとかいう話ではなく、違う、ということです。

 

03-2島の方は、若い健常者ではなく反対です。私が一番最初に島へ帰った平成5年の頃は、人口に占める高齢者の割合が、全国3,232ある市町村の中で、我が村は2番目でした。2番目というと、準優勝・銀メダルです。その当時の日本の平均が14%位でしたが、うちの村は43.何%という具合でした。もう今は、6割を越えています。6割といいますと、65歳以上が3としたら、65歳以下が2ですから、住民の平均年齢が70前位という感じです。島の中がどういう状態かというと、言い方悪いですが、老病死・老病死・老病死・老病死という状態であります。
一方は若い健常者、一方は老病死が標準形態、日常です。そこで色々なことを考えさせられ、教えられたと思います。

 

島に帰り、高齢者比率のことも分かりまして、その高齢者比率が全国2番目であることをあまりマイナスに考えておりませんでしたから、すぐに村長のところへ話しに行きまして、「これは素晴らしいことだから、もっと全国に発信しましょう」「村長さんが号令をかけて、全国高齢者サミットみたいなことをやって、それから厚生省(当時は厚生労働省)に申請して、高齢化社会モデル地区に指定してもらい、些少の補助金を貰いながら、高齢化社会というものがこんなに豊かな社会であるということを、全世界に発信しましょう」と、提案をしました。しかし行政の方々には、全くそういうことは分かっていただけず、若さが価値であり産業が振興していることが価値であり、どんどん建設がなされることが価値である、と。ですから、高齢者が多いということは恥ずかしいことであり、知られたくないことである、という感覚でした。また、お年寄り自身も、自分が高齢者として生きているということを、中々安心して受け容れることが出来ない、ということを感じました。 70代の人も80代の人も、男の人も女の人も、どの人も本当に同じ事をおっしゃる。「住職さんよぉ、わしらも若い頃は元気でよかったが、こうやって年を取ると、つまらんようになったわい。」と。「そう言いなさんな、75年かかってやっと手に入った70やから、よろこばにゃ、喜ばしてもらわにゃいかんのじゃないですか」と、こういいますと、「そりゃそうかもしらんが、情けないもんじゃ、つまらんようになったもんじゃ」と。「わしらもう、世の中の厄介もんじゃ」。「何をしても税金のご厄介になって…」。ちょうどその頃は、医療費の無料の頃でした。これは私にとって大変なショックでした。長生きが出来ているということは、人類始まって以来の夢が叶ったということです。人類始まって以来、世界中でどうやったら長寿の世の中になるのか、それを目指し、それが実現した。実現したにもかかわらず、行政は「困った困った」、住んでいる人達は「つまらんようになった」と。これは何かおかしいのではないかと。本心からそうおっしゃっているのかどうかは別としても、とにかく私のように都会から帰ってきた若い者(当時39歳でしたが)、そういう者には、自虐的に自分を卑下して、「つまらんものになった」と言わせる空気があるわけです。

②へ続く

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