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伝道掲示板

第2回 真城義磨先生のお話

2009.08.06

2009年8月6日暁天講座

 

そこで、どうしたものかと思いまして、その空気の正体は何か、というようなことを色々考えました。と同時に、村長さんに提案したように、高齢化社会といいながらも豊かな社会なんだ、ということに、なんとかしていきたい。長生き出来てよかった、と言い合えるような地域になりたい、と思いまして模索しました。
 

見渡してみると、お年寄りになられて、色々と体のあちこちが不自由になっていく。そして、情けないなぁ、という感じになっていく。
 

例えば、年はとったが車の運転はまだできるという人がいる。また一方には、足が悪くなって畑まで行くことができない、という人がいる。誰かが畑まで連れて行ってくれさえすれば、畑仕事が出来るんだが…、とこういう人もいます。このへんを何とか組み合わせることが出来ないものか、ということを考え、ボランティアグループを立ち上げようということで、村の社会福祉協議会にいる人に働きかけまして、人の世話になることを練習する会を提案いたしました。最終的には名前が悪い、ということで、「グループだんだん」というように変わりました。だんだんというのは、テレビドラマのだんだんと一緒で、あれは島根県だけで無しに私たちの地方でも、ありがとう、というのを田舎の方言で、だんだんと言います。だんだんとは、もともと、重ね重ね、という意味ですから、だんだんおおきに、重ね重ねありがとうという言葉の最初の部分です。そうやってグループだんだんというのが出来ました。
 

人の世話になる、ということは、皆さんも実感がおありになるかと思いますが、みなそれぞれ、困った、こんなこと、手伝って欲しいな、ということがあるわけです。だけれども、手伝ってもらうのはいいが、手伝ってもらいっぱなし、というわけには、なかなか気持ちの上ではいきません。何かお礼をしなければならない。あるいは、次に道でばったり出会ったら、忘れずに丁寧に挨拶・お礼の言葉を述べなければいけない。これをうっかり通り過ぎたりすると、ある攻撃があります。何攻撃か。わたしはそれを「のに攻撃」と呼んでおります。してあげたのにお礼も言わない。といったことになると、田舎のことですからやっかいです。ローマ字で書くとNoniの中にはoni(鬼)がふくまれておりますね。

このようなことがありまして、もう少し気楽にものを頼めないだろうか、と思いました。世話しっぱなしで平気、世話されっぱなしで平気になれないものか。ということで、人の世話になるということも、具体的にはどうしたらよいだろう、と社会福祉協議会の彼と一緒に考えました。たまたま、長寿文化研究所というところが松山にありまして、そこが実験的にモデルの村を探しておりまして、そことタイアップいたしまして、グループで活動を始めました。
 

グループだんだんでは、入会するときに2枚の紙に色々なことを書いてもらう。そのグループは最初80人くらいで始めたんですが、20代~80代までの男女がおります。枚の紙に色々なことを書いてもらう。書いてもらうといいましても、皆、書くことを嫌がりますので、世話役がおりまして、聞き取りをいたします。一枚の紙は、あなたの出来ることを書き上げてください。自分の食事は自分で作ることが出来ますが?飲み物は?どのくらい歩けますか?、朝は早起きですか?新聞の字が読めますか?電話かけられますか、着物をたためますかなど、色々聞きます。わざと出来そうなことをいっぱい聞きます。 そうしますと、「つまらんようになった」と言っていた人が、まだ出来ることが山ほどある、ということ再確認いたします。
 

もう一方の紙には、出来ないから手伝って欲しい、ということを書いてもらいます。例えば、ミカン山まで連れて行って欲しい、など。このボランティアというものは、遊び心満載でいかないと、長続きしませんので、何でも横文字にしてみたり、色々試みました。キャリングサービスというのは、足の悪いおばあちゃんを達者なおじいちゃんが車で迎えに行って助手席に乗せて畑まで連れて行く。そして、頑張って仕事せぇよ、と言って、何時に迎えに来るからな、といった具合です。
 

そのようなことで活動してきました。
 

また、モーニングコールサービス、というのもありまして、例えば、小学生を持つお母さんが明朝5時におきて子どものお弁当を作らなければならない、というような時に、自分で目覚まし時計で起きてもいいのですが、グループの約束事で必ず世話役に頼むことにしています。そうすると世話役は、モーニングコールの電話をかけてもらうように依頼します。依頼者と電話をかける人が一度も話したことがないであろう、という組み合わせを考えまして、電話をかけてくれる人を依頼します。
 

我々は世話しっぱなしではなんとなく収まりが悪いですから、グループだんだんとかかれたシールを貼ったおもちゃの硬貨チップを用意いたしまして、お金の換わりにいたしました。例えば30分サービスを受けるとそれを一枚払う、といった形です。
 

たまたま次会ったときに、「だんだん」といってその通貨を一枚渡したら、それで終わり、という形です。挨拶もお礼も何にも関係ない。

このようなことを、ただ単にサービスとして行っておりましたが、思わぬ副産物が出てまいりました。 若い人はすぐ忘れてしまいますが、道を歩いていて、モーニングコールサービスのの二人がひょっこり出会ったりいたします。そうすると、起こしたほうのお婆さんは印象が深いですから、挨拶から始まります。
 

狭い村ですから、全員皆顔見知りです。それこそ三代遡ってまで知っていますが、30代の人と80代の人が日常会話をするということはありません。共通の話題がありませんから。 そこに、言葉をかけあった、ということがあって、今度会ったら、突然一挙に次の展開になって、村に嫁いで50年間誰にも喋らなかった過去の祕密を、その30代の若嫁さんに打ち明けたり…。気を許して話が始まる。

 

③へ続く

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