第4回 真城義磨先生のお話
2009.08.06
2009年8月6日暁天講座
「(年をとって)つまらないようになった」と自分を受けとめるのは、どこから来たのだろうか。どういう私たちの物の考え方が、その言葉をださせるのか。考えて行き当ったのが、「人材」という言葉です。
いつの間にか、私たちは、人間を材料としてしか見なくなってきた。会社で働いている人は、その会社にどれだけ貢献するかで、値打ちがみられる。役に立つ人、と。材料というのは、役に立って初めて値打ちがあるわけです。私たちは、人材である前に人間なんですが、しかし、人材として活躍して、人材として収入を得る。自分の持っている機能を発揮して、それぞれが人材としてのポジションを得ていく。
人材というのは、差別の世界です。人材派遣会社のコマーシャルを見ていますと、人材には三種類あるといいます。宝のような人、人材。いるだけの人、人材。足を引っ張る人、人材。うちの会社は、宝のような人ばかりを揃えて派遣します。
これで分かるように、人材の世界というのは、はっきりと序列の付く世界です。誰から見て、良い・悪いをいう。社長から・上司から見て、いい人材、悪い人材、はっきりします。それぞれの分野において、自分の一番得意なことが発揮できると、人材として活躍し、それによって収入を得ることになります。
例えば、我々のところはミカン農家ばかりです。平地というものがほとんどなく、海からすぐ段々畑です。しかも、ミカン畑には、ほとんど道がありませんでした。ミカンは20㎏入りの木箱にいれておりました。その木箱を背中に背負って、それを4箱くらい負う。重ねると高さも相当なものです。80㎏を背負って、道なき道を運びます。一箱いくら、で請け負う。5箱背負った伝説のような人もおりました。
その力自慢が、自信満々で人の倍ほど運んでいた人たちが、年をとってどうしているか。箱こそプラスチック製のキャリーといわれるものになりましたが、その20㎏キャリーにミカンを半分しか入れません。10kg.です。20㎏入れたらもう、持ち上がりません。持ち上がっても続かない。それまでの倍、手間がかかることになります。しかもミカンの値段も下がりました。選果技術も進み、少しでも腐りが見つかると、罰が与えられてしまいます。ミカンが一つ腐っていると、1㎏分カウントから外されます。後から伝票みでガックリする。つまらないようになった、と。
その気持ちはよくわかりますが、機能が落ちたら人間としての価値が下がるのか、というところに目を向けて欲しい。
人材は、機能と所有と地位と三つです。
人間の値打ちを見るとき、ついつい我々はこの三つで見る。財産や地位、何が出来るかで人を見るくせがついている。そうすると、この三つを失った途端、値打ちが無いとなる。お金があるうちは、みんながチヤホヤしてくれる。ところが、そのお金のほとんどがリーマンブラザーズの配当だったりすると、去年の秋からボロボロとなって、潮が引くように、誰も相手にしなくなってしまう。
飛ぶ鳥を落とす勢いで、高い位置で頑張っていたのに、不具合が発覚して、懲戒処分になって、何もなくなってしまった。去年まで年賀状が400枚来ていたのに、今年は、25枚になった… ガクッと来ます。自分みたいなのは生きていても意味がない、と、こう思うようになる。
このことによって私は値打ちがあると思っていた、その機能がだんだん衰えいく。年をとれば、残念ながらみんなそうなります。そうなると、値打ちが下がるのか。私たちはいつの間にか、人間の価値をこういうところへ見る癖がついてしまっています。
こういうものは付加価値です。後からついた価値。対して人間の本体価値。本体価値の方を見なければならないのに、付加価値ばかりを見ている。人材というのは、見る人が決めるわけです。見る人の都合が、その人の人材としての価値を決めるモノサシとなります。社長から見たらいい人材が、家に帰って奥さんから見ても人材としての価値が高いか、家庭の中の人材の価値。
なんであなたが、会社でそんなにチヤホヤされるのかわからない、ということもあり得ます。最近は夫のことを粗大ゴミと、あまり言わなくなりましたが、「粗大ゴミ、朝に出しても、夜帰る」なんて言葉もありました。娘さんからみたらもっときつい川柳があります。「ランキング、母、子、犬、猫、父、金魚」妻に、娘に、犬猫にバカにされ、金魚にだけちょっと威張っているお父さん。それに対してお父さんの川柳は情けないものが多いです。
会社でものすごい評価の高い人が、家で評価が高いとは限らない。あるいは、地域の中で評価の高い人がいる。これも両面あります。私が頼んだら何もしてくれないのに、隣の奥さんが頼んだら、ホイホイとすぐにやってあげる、なんてこと。近所からはいい人材、妻からはダメな人材。
というように、人材として見る限り、見る人によって価値は一定しない。バラバラなんです。ですが、私たちは、付加価値で評価を受け、その人材として収入の源としているわけですから、そこにしがみつきたい。しかし、その部分が衰えていくと、自分の値打ちは下がったな、つまらない、情けないと、なっていく。
こういうことは全部、人間の知恵で判断したら、ということです。人間の知恵は、常に私の都合に合うかどうか、というモノサシです。そしてその私の都合はどこから来るかというと、あらゆることが請求という私たちの進み方から来ます。この請求の中身は、私の知恵・頭脳で考えて、私の都合のいいように、進んで行こう とする。ですから、いい人材というのは、私の知恵で考えて、私の都合に合う。あるいは、私のして欲しいことに合致する人、これがいい人材となります。大人でいえば「いい人材」、子供でいえば「いい子」となります。
⑤へ続く